私は、あの瞬間からあがり症になった。-第七章-

投稿者: | 2018年5月15日

少しずつ緩和しだしたあがり症

専門学校で新たな可能性を得た私は、さらなる高み?を目指して行動を開始しました。

まず、就職なんて道には目もくれず、フリーターを続け、さらにバンド活動を継続して有名になってやるという大きな野望を持ち始めました。

就職なんてバカなことしてられるか!好きな事をやっていくんだ!と完全に調子に乗り始めていました。

この頃は週一でライブを行い、人前でMCなども任されていた私は、普通の人並みに話す事ができていました。

やはり経験を積んでいくこと、慣れていくことは大切だと思います。

さらに自分を追い込むため、接客業もして対人恐怖チックな症状にもカツをいれてやろうと意気込みました。

結果、こちらもかなり改善されました。

しかし、これは性格によるので、このように追い込むことが吉と出る方もいれば、悪化する場合もあるという点が注意すべきところです。

あの忌まわしき小学校の全校集会での事件から早10年、私の青春を台無しにしおったあがり症ともついにお別れのときでした。

人前に出る事への自信とさらなる挑戦で起きたパニック

こうなると調子に乗った20代の男は止まりません。

グランドラインを目指すんだ!といわんばかりに、何を血迷ったか海外へ飛び立ったのです。

これは、英語を学びたいという昔からあった密かな夢への挑戦でもありましたし、10代の頃の青春を取り戻したかったのだと今では感じます。

そして、ワーキングホリデーという制度を利用して、オーストラリアへの片道切符を手にして、旅立ったのでした。

ところが、これが失敗でした。

無計画も無計画、友人もいない、お金もそんなにない、車もそんなに走ってねぇ、というのは冗談ですが、とにかく何をどうしていいのか全く分からなかったのです。

今では考えられませんが、語学学校も決めることなく、止まる宿も決めることなく、ただ、飛行機にのって海外へやってきた無謀な男がそこにいたのです。

そして何が起こったかというと「パニック」です。

とにかく、この異国の地からすぐに帰ることが出来ない、身よりもない、という状況に過度のストレスを感じてしまい、外へ出れなくなりました。

外出するのが怖い。

そして、一泊数千円はするホテルへ2週間ほど引きこもりました。

ご飯も食べれず、外へも出れず、日本へ帰ることもできず、とにかく息苦しさ、動悸と戦う毎日が続きました。

この時はパニック症というものの存在も知らず、ただ体がおかしい、という自覚しかありませんでした。

のちに、これがパニック障害の始まりで、その後も続く事になるのでした。

続く

 

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